青森県三戸郡三戸町 梅内城ノ下34-2

糠部神社は、長きにわたり三戸の地を治めてきた南部氏の功績を刻む拠り所として創建された、南部氏所縁の御社です。

交通案内

青森県三戸郡三戸町大字梅内字城ノ下34-2

八戸 ~三戸市街 ~糠部神社
 青い森鉄道「八戸駅」~「三戸駅」(20分)
 ・・・路線バス田子線 「三戸駅前」乗車
 ・・・「城山公園前」下車(15分)
 ・・・徒歩(17分)

盛岡 ~三戸市街 ~糠部神社
 IGR「盛岡駅」~「三戸駅」(1時間20分)
 ・・・路線バス田子線 「三戸駅前」乗車
 ・・・「城山公園前」下車(15分)
 ・・・徒歩(17分)

車でお越しの場合
社務所隣に参拝者専用駐車場がございます。数に限りがございますので、満車の場合は、公園広場の駐車場をご利用ください。

御由緒

社 名

 糠部神社(ぬかべじんじゃ)

御祭神

【御祭神】 源朝臣南部光行公
 南部氏初代当主。一族の礎を築いた武将。
【相 殿】  宇迦之御魂命
 穀物の神。かつて三戸城を鎮護していた「館守稲荷神社」の御祭神。現在は当神社本殿に合祀されております。

南部光行公
(社殿 鎮座100年記念奉納絵馬より)

縁 起

 光行公は、甲斐国(現在の山梨県)に加賀美次郎遠光公(加賀美家初代当主)の三男として生まれ、のちに南部を氏とするにいたりました。南部氏は清和源氏の後裔ということもあり、名門の誉れが高い家柄であるといえます。
 現在の糠部の地を賜った時期は諸説ありますが、12世紀末期頃に入部したとされ、爾来700年余り、南部氏は東北の雄として栄え続けました。

 当神社創建のきっかけは明治8年のこと、三戸給人であった佐藤連之助の提唱によります。当時は、廃藩置県の一環で全国に敷かれた廃城令によって、国内の城郭は悉く取り壊される時代でした。このような時代背景の中で、これまで築き上げてきた南部氏の功績を後世へ遺したいという思いから、連之助の声がけによって集結した三戸・二戸・上北・下北各郡の有志が尽力し、南部氏の始祖を御祭神として当神社は創建されました。

 「糠部五郡小史」によると、創建は明治11年12月1日、翌年6月26日には県社へと昇格されました。初代宮司は、三戸城御掃除奉行を代々勤めてきた安宅氏の末裔、安宅源十郎が務めました。

 長い間この地を治め発展させた南部氏の功績は今も受け継がれ、地域住民の心の拠り所として深く親しまれております。

糠部(ぬかべ)の語源

 参拝される方から当神社の呼び名について時々ご質問を受けますが、「糠部」と書いて「ぬかべ」、または「ぬかのべ」「ぬかのぶ」と呼びます。かつて陸奥国にあった郡名で、その境域は現在の青森県東部~岩手県北部とされています。この呼び名は三戸町でも馴染み深く、町内の小中一貫三戸学園の校歌にも「糠部」の言葉が出てきます。

昔をしのぶ糠部の 神の社の千木高く
雄々しく立てる城山は 我等の仰ぐ姿なり


 「糠部」は、南部氏が甲斐国から入部した時期に既に使われていたとされ、「三戸町通史(昭和54年11月発行/三戸町)」によると、その語源には、豪族の名という説、アイヌ語が語源である説が挙げられています。

豪族の名称説「宇漢迷」

 8世紀頃、馬淵川下流地帯を支配していた豪族「宇漢迷(ウカンメイ)」が由来とする説。この名がなまって「ヌカノブ」になり、これが糠部の語源になったのではないかというもの。

アイヌ語語源説「ヌカンヌップ」

 アイヌ語「ヌカンヌップ」を由来とする説。「ヌカン」は“見える”、「ヌップ」は“高原”で、遠く見渡した高原のある地を意味しています。この「糠部」以外にも三戸地域には、階上(ハシカミ)、苫米地(トマベチ)など、アイヌ語が語源と考えられている地名が非常に多いです。

御利益

学問武芸 ・ 家内安全 ・ 勝負運 ・ 五穀豊穣 ・ 商売繁盛 等

 

祭典行事

  • 1月1日     …歳旦祭

  • 2月11日    …紀元祭

  • 2月23日    …天長祭

  • 4月29日    …昭和祭

  • 5月1日     …祈年祭(春祭)

  • 8月21日    …例大祭

  • 10月23日   …新嘗祭(秋祭)

  • 12月31日   …年越大祓

  • 毎月1日・15日 …月次祭

    月次祭はご参拝いただいた方どなたでもご自由に参列できます。
    お気軽に社務所まで御申し付け下さい。

【令和元年 神楽奉納(祈年祭終了後に実施)】